少し前に話題になった本、気になっていたので読んでみました。
ネタバレを含むのでネタバレを避けたい人は他のページを楽しんでね〜!
82年生まれ、キム・ジヨンってどんな本?
ジヨンは私だ
韓国の話だが日本と同じだ
こういった声が多く寄せられていました。
これは舞台を韓国としたフェミニズムをテーマにした本です。
想定していたもの
もともとこういった話題は避けがちといいますか、苦手としていたのであまり面白くないかな…と思っていたのですが想定外に楽しめました。
最初の数ページは主人公の「キム・ジヨン」と言う名前に馴染みがないため、
・男性なのか女性なのか(女性が主人公です)
・年配なのか若いのか(タイトルのように、82年生まれです)
もピンとこず、なかなか名前が覚えられなくて難しかったです。
ほら、日本語の「チヅ代」さんだと年配の女性だなと推測できるじゃないですか。それが韓国に疎いので全然イメージができなかったです。
読み進めると、これは精神科の先生が第三者の目線で記録しているという体裁だと分かります。
「キム・ジヨン氏は…」と続くので最初だけちょっと慣れないのですが、少し読み進めるとスラスラ読めるようになります。きっと翻訳も良いんですね。
しかし、この名前が覚えられない、男女分からないといったことが後に「あとがき」で脳天に響く驚きになります。
露骨な男女差別だが、当たり前とされてきた
男の子が喜ばれ、両親や義両親からも男の子を生むことを期待される。
なお、韓国では出生数の男女比が自然な男女比からかけ離れていた期間が存在します。
きょうだいの間でも男女で待遇が違います。
ご飯やお茶が配膳される順番、お金をかけられる優先順位…
幼少期は、理不尽な待遇が「当たり前である」ために特に反発せずに暮らします。
教育の機会が平等になりつつある現代
日本でも出席番号はあいうえお順ではなく、ひと昔前は男性が先、女性が後だったというのは、キム・ジヨン世代ならまだ覚えていると思います。
ジヨンの母は教育の機会を与えられず、男兄弟のために働くことが当たり前として育てられました。
しかし、尽くしに尽くしても自分の番は回ってこない事に気づき、自分自身に投資することを選びます。
ちょっとこのお母さんはスーパーマンに描かれすぎかな…?という印象。この時代でこうやって自分で勉強して事業を起こすなどした人はバイタリティが違いますね。
子どものジヨンの世代では男女ともに教育を受けます。
制服の規定が女性だけやたら厳しかったり、セクハラが横行していて基本は「女性は自衛しろ」という雰囲気の中で描かれるので窮屈な印象を受けました。
教育の機会は親世代よりも平等に近づいたけれど、生きやすさは異なるように感じます。
就職の見えない下駄
ちょうどこの本が発売された頃、日本でもセンセーショナルなニュースが広まります。それは医学部の大学入試で男性に合格点の下駄が履かされ、実質同点の男女がいても男性が選ばれるという男女差別でした。
もちろん、ジヨンの就職活動も難航します。そこには優秀な女性の先輩が登場しますが、推薦されるのは皆男子生徒であるという実態を聞かされます。このことに対し、推薦基準を教えて欲しいと抗議した先輩に向けられた言葉はこちらです。
女があんまり賢いと会社でも持て余すんだよ。今だってそうですよ。あなたがどれだけ、私たちを困らせてるか。
—『82年生まれ、キム・ジヨン』チョ・ナムジュ著
ジヨンはなんとか就職し、そこには優秀な女性の課長が存在します。
キム・ウンシル課長は、四人いる課長の中で唯一の女性だった。小学生の娘が一人おり、実のお母さんと一緒に住んでいるので子育てと家事は完全に母親に任せ、本人は仕事だけしているという。それをかっこいいと言う人もいれば、ひどいなあと言う人もおり、そしてまたある人はいきなり旦那さんをほめるのだった。
—『82年生まれ、キム・ジヨン』チョ・ナムジュ著
この直後に、ジヨンは母と祖母(ジヨンの母と姑)のことを思います。ウンシル課長の夫はよく褒められるが、まったく同じ状況で、むしろ家のことを担いより尽くしてきた母は褒められたことなどあったろうかと…
これは「ミラーリング」という手法です。男女ひっくり返してみたときに、いかに片方が違う目線で見られているかにハッとする手法であり、我々の無自覚のバイアスを気づかせます。
キム・ウンシル課長は、女はだめだなと言われないように、会食の席でも最後まで残り、残業や出張も自分から買って出て、出産後も一ヶ月で復帰した。初めはそれが誇りだったが、女性の同僚や後輩が会社を辞めるたびに心中複雑で、最近では申し訳ないと思っているそうだ。
—『82年生まれ、キム・ジヨン』チョ・ナムジュ著
作中でウンシル課長はかなりスーパーマンのように描かれます。これを「ロールモデル」としていいのか…仕事で舐められてはいけない、でも頑張り過ぎるといい手本にはならない、そのジレンマに苦しむ姿が見て取れます。課長の勧めでジヨンはいわゆる「お茶だし」といった年少女性が当たり前にしてきた仕事をやめます。
「キム・ジヨン氏はもう毎朝のコーヒー出しもせず、食堂でもお箸やスプーンをセッティングしなかった。誰も何も言わなかった。」
—『82年生まれ、キム・ジヨン』チョ・ナムジュ著
会社で肝入りのチームに抜擢されたのは同期の中でも男性だけだった
順調にキャリアを積んできたと思われたジヨンにも大きな壁にあたります。
仲の良い同期にも恵まれ、その中でも業績を上げていたと思っていたのに、新しいチーム(会社の肝入りの企画チーム)に抜擢されず、どちらかというと業績のよくない同期の男性が選ばれたのです。
男性だから。長期プロジェクトだから、である。
社長は仕事が結婚生活、とくに育児との両立が難しいことをよく知っており、そのために女性社員を入れなかったのです。
英国の『エコノミスト』誌が発表した「ガラスの天井〔マイノリティや女性の昇進を妨げる、目に見えない壁〕指数」でも、 国は調査国のうち最下位を記録し、最も女性が働きづらい国に選ばれた
—『82年生まれ、キム・ジヨン』チョ・ナムジュ著
結婚生活
韓国でも夫婦別姓といいますか、戸主制度が廃止され、夫婦の姓のどちらでも子どもにつけられる時代になります。ただし、「母親の姓にしたら何か特別な事情があるのかと思われる」というように、結局は母親の姓を継ぐ子どもはかなり少ないそうです。
これは夫の意見もわかります。世間の当たり前から、特に特別に思い入れもないのに外れる必要はあるのかと…。既存の制度を変えることの難しさを実感します。
法律や制度が価値観を変えるのか、価値観が法律や制度を牽引するのかと。
—『82年生まれ、キム・ジヨン』チョ・ナムジュ著
出産で失うもの
この本の中で一番ドキッとするのはここだったかなぁ
「失うもののことばかり考えるなって言うけど、私は今の若さも、健康も、職場や同僚や友だちっていう社会的ネットワークも、今までの計画も、未来も、全部失うかもしれないんだよ。だから失うもののことばっかり考えちゃうんだよ。だけど、あなたは何を失うの?」
—『82年生まれ、キム・ジヨン』チョ・ナムジュ著
出産で一時的に仕事を必ず離れなければならないから、給料が低いから、これらの理由で子どもを持った後に女性が生活をガラリと変える(変えざるを得ない)ケースが多い現状です。
この現状が、82年生まれ世代、まさに今母親世代となる人々にとって、いかに不安な状況であるかを切実に訴えている言葉ではないかと思います。
ちなみに、ジヨンの夫はとてもできた人です。優しい夫であり、ジヨンの話にもきちんと耳を傾けます。夫が酷い、という話ではないのです。
尊厳を失うジヨン
子育てを担い、興味もなければ給料もよくないパートを選びかけるなど尊厳を失いつつあったジヨン。
そこに追い討ちをかけたのが、子どもと散歩の際に知らない男性からささやかれた「ママ虫」という嘲笑・あるいは侮蔑、日本語での翻訳が難しいと注釈にありましたが寄生虫や害虫といった意味の言葉でした。
こうして、ジヨンは精神に異常をきたし、病院に通うことになります。
ぞっとする主治医の感想
主治医は自分の妻を思い浮かべながら、同じく勤務する女医を見ながら、最後につらつらと思いの丈が綴られます。そこに滲むのは…。
最後にゾッとする終わりが待っています。
解説が面白い
この本は翻訳も素晴らしいですが、なんといっても解説が面白いです。
販売当時の情勢、世論の動き、そして著者の狙いを解説しています。
冒頭、韓国語の名前なので男性か女性かピンと来なかった、と書きました。
まさにそのせいで一番大きな著者のトリックに最後まで気づきませんでした。
この本には、ジヨンの夫以外、男性には誰にも名前がついていません。
これは、これまで女性は補助的な役割であり、母でしかなかった、女性には名前が必要なかった、ということの強烈なミラーリングになっています。