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「失敗の科学」、読了

著:マシュー・サイド
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目次

優れた邦題。原題は”Black Box Thinking”

優れた本は邦訳も素晴らしい。日本語のタイトル「失敗の科学」はまさにこの本の真髄を表しているタイトルだと思う。原題は“Black Box Thinking”で、紙飛行機のイラストの本で知られているため飛行機のブラックボックスを表していると分かるが、日本だと「ブラックボックスの考え方」だとおそらく「よく分からない考え」のように誤って捉えられると思う。
内容はまさにブラックボックスを辿って失敗の原因、そして予防策を考えることで発展・進歩していく、という「失敗の科学」なので内容を見事に表した秀逸なタイトルです。
「失敗」と「科学」という珍しい組み合わせでインパクトもありますね。

あ、この話聞いたことある!という事例も多い本です。穴ボコで帰還した飛行機から考える改善の話や、スティーブ・ジョブズ、大食いで優勝する日本人、ベッカムのフリーキックまで、例がとにかく面白い。

「私、失敗しないので。」はフィクションの世界

ドクターXこと大門未知子のキメ台詞として知られる、「失敗しない」はまさに医者に求められている理想の姿なのだろうが、実はこれが医療業界の「失敗の科学」を停滞させている、と指摘するのが本作です。
冒頭に麻酔の医療事故によって亡くなる患者の詳細な描写があります。不測の事態がいくつも連鎖し、適切な処置が間に合わずなくなってしまうマーティンの妻、エレインの話です。
なぜ詳細に何が起こったのかが記載されているのは、マーティンのたゆまぬ真実の追求によるものといえます。彼はパイロットで、「失敗から学び、同様の防げる死を繰り返して欲しくない」という考えを持っていたからです。彼は医療従事者を責めたいのではなく、ただ事実を知り、事故を防ぐ仕組みを作りたかったのです。

ブラックボックスから事故のデータを分析できる航空業界とは異なり、医療業界では事故、それもしばしば「最善の措置を尽くしましたが、残念でした」という事例は特にデータが残らない。人の命を救うための医療措置には、もし100通りの方法を同じ体に施せるのなら、もしかしたら1例くらいは命を救えたかもしれない、というような事例があるかもしれない。ただし、その可能性を指摘することは「正しい医療措置を選択しなかった」という非難である、と捉えるのが医療業界であり、こうした事例はデータにならないという問題が指摘されています。

臨場感のある航空事故の描写

この本の中にいくつか取り上げられている飛行機事故(もしくはニアミス)はまるでドキュメンタリーを観ているような臨場感のある描写で、まさにこの本の最も面白いポイントだと思います。

映画にもなったあの事例の「ハドソン川に着水だ!」
やっぱり読んでて痺れますね。

ユナイテッド航空173便の悲劇(後に航空業界の転換点といわれる事故)は、ベテランパイロットが着陸の際「車輪が出ていないかもしれない」という不安を払拭できず、確認に時間を要し燃料切れの末、墜落してしまう(乗客乗員数名が亡くなっている)。この状況と冒頭の医療事故で共通しているのは、当事者の過集中により時間の感覚を失い、正常な判断ができなくなったということです。墜落してしまうものの、機長の操縦は並外れた技術であり、民家をなるべく避けコントロールしていたことがわかっている。優れた技術と豊富な経験、そして並外れた集中力を持っていた人でも、いくつか状況が重なればこうした事態は起こりうる。事実、同じ機種の飛行機も同様の事故を起こし、乗客乗員全員が亡くなる事故を起こしていた。
事故を起こしつつも生き残ったユナイテッド航空173便の機長と、ハドソン川に見事着水した機長はどちらも優れた操縦技術の持ち主と描写されるが、それぞれの時代でどのようにその後世間に扱われたかは想像に難くないだろう。それぞれ時代が違えば、果たして…

ハドソン川の奇跡を起こした機長は、過去の犠牲から学んだ教訓を次世代に伝えていかなければならない、とインタビューに答えています。

学ぶ機会、フィードバックはあるか?

この本は特に医療業界への警鐘が多いです。心理療法士の実態や病理判断におけるデータの蓄積不足を指摘しています。その中でも先んじて「失敗の科学」を取り入れはじめたバージニア・メイソン病院の取り組みはこれからの未来を少しだけ期待させてくれます。多くの人が働く医療現場で「私に問題があったかもしれません」とミスを報告できる現場の雰囲気づくりとそうした人を守る仕組みづくりは、なかなか一朝一夕には進まないですよね。

失敗を認められない法曹界

「冤罪」も医療同様に「あってはならない間違い」としてよく知られると思う。特に犯罪は被害者たちや人々の「感情」によって正しい事実を捻じ曲げてしまう。決めつけてかかったり、スケープゴートを祭り上げて早々に事件をなかったことにしようとしたり、などである。この本では、DNA鑑定が大きく事態を好転させていく事例が挙げられている。しかし科学は万能ではなく、それどころか科学的事実をもとに間違いを明らかにしてもカルト的な宗教はますます陶酔していく様子が記されていたりと、人間の心と社会は一筋縄にはいかないことがよく分かる。

一度有罪だと決めてかかられると、たとえ無実とわかっても世間の目は元には戻れない…

思い込みの怖さ

難しい言葉は嫌いだが、認知的不協和(思い込み)が至る所で起こっていることの指摘が続く。賢い人ほど、地位が上の人ほど、正しいと思い込む傾向が強く、時には記憶も改ざんし、自ら進んで失敗することから遠ざかっているという。

ボトムアップという失敗の科学

ここまであらゆる業界の話が続いたが、本の半ばの3章では実に科学的な話になり少し心が踊る。ユニリーバのよく広がる「スプレー」の開発が、進化的手法を活用したものであったという事例である。泥臭くとにかく色々な形を作って試す、その中からいいものを選んでさらに色々作るというボトムアップの方式の話になる。

バイオインフォ出身なので進化の話は納得のお話でした。まさに進化の淘汰ですね。

ランダム化比較試験(RCT)

進化の手法と趣が似ているのが統計手法のRCTである。ABテストと言った方がピンとくる人も多いかもしれない。実際に検証を行い、対象となるグループと比較する手法でなんといっても説得力が違う。難しいのは、たとえば非人道的なことはできなかったり、片方に利が明らかにある(と思われる)場合などの反発である。

マージナルゲイン

本は終盤にかけて改善への道標を示してくれる。マージナル(marginal)とは、わずかな、という意味で小さな努力・改善が積み重なれば大きな結果を生むという話である。

自転車業界では有名なチームスカイのお話やF1のお話

専用のマットレスを常に携帯、ユニフォームのデザインの改善など今となってはスポーツ界ではよく聞く話が挙げられています。そんな中でも興味深いのがこの心構えかな。

「成功するためにそこまで細かいことにこだわるなんて具合が悪くなりそうだ」と人は思うようです。

しかし私にとっては、そういう分析を怠ることの方がずっと気持ちが悪いです。わかったつもりになるより、明確な答えが欲しいんですよ

デイブ・ブレイルスフォード

成功する人の考え

本の終盤にかけても「失敗」した人の末路は悲しいものが続く。この本を読んでいるとどんな優れた人でも失敗することは避けられない時があるのは分かるし、ドキュメンタリー調なので失敗した人の気持ちが伝わって痛いほどだ。ニアミス事故を起こした機長の自死の選択はとにかく悲しかった。

短絡的に非難することの愚かなこと…

ベッカムの言葉で締めたい

失敗を恐れないこと、失敗から学ぶこと、誰でも失敗すると理解すること。そして記録して次世代に繋ぐこと。ボトムアップでもアプローチすること、実際の例から学ぶこと、多くの事例を見ること。

どれも納得の話ですが、やっぱりカッコいいスターのお話で最後は締めたい。

「私のフリーキックというと、みんなゴールが決まったところばかりイメージするようです。
でも私の頭には、数え切れないほどの失敗したシュートが浮かびます。」

デビッド・ベッカム
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